目指せ、世界文化遺産! 韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)



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世界文化遺産には、古い時代の遺跡ばかりではなく、近現代の工業や産業の発展に寄与した貴重な施設や建築物も数多く登録されています。

2013年9月17日、政府が世界文化遺産への登録を目指すことを決定した『明治日本の産業革命遺産』の構成資産のひとつが、静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉です。

 

●反射炉とは。

反射炉とは、18~19世紀にかけ、鉄の精錬に使われていた金属融解炉の一種です。

鉄鋼の精錬は、後に転炉と呼ばれる方式の融解炉に取って代わられましたが、現在でも鉄鋼以外の金属精錬に利用されているところもあります。

精錬に必要な熱を発生させる燃焼室と炉床が別室に分かれている事が構造の特徴で、発生させた熱を天井や壁に反射させて炉床に集中させることから反射炉と呼ばれます。

中世ヨーロッパでは、中世には教会で使う鐘の鋳造のためにすでに反射炉を利用していたと考えられます。鋼鉄の鋳造に用いられるようになったのは17世紀末のことでした。

日本において反射炉は、国防用途に精度の高い洋式大砲を作る必要に迫られたことから導入されることになり、伊豆国を初めとし、佐賀藩、薩摩藩等、日本各地に反射炉が建設されました。

反射炉を用いて製造された大砲は後に戊辰戦争でも利用され、また、建設に必要となった耐火煉瓦の製造技術は、明治以降日本の建築史に重要な役割を果すことになります。

 

 
●現存する最初の反射炉

韮山反射炉は1853年に佐賀藩からの技術協力を受けて設置された反射炉で、この当時建設されたものとしては、唯一現存する反射炉です。

連双式と言われる溶解炉を2基備える反射炉を直角に配した構造を特徴とし、溶解炉を4基同時に稼働させることができました。

韮山反射炉が建設された当時は幕府による鎖国政策のため、外国人技術者を招聘することができませんでした。

そのため、炉の建設は非常な困難を伴いました。

当初、下田近くで建設が開始されましたが、建設途中にアメリカのペリー艦隊の水兵が建築現場に侵入するという事件が発生、現在の位置に移設して建設が継続されました。

当初、反射炉の建設を命じられた江川英龍は完成を見ることなく病死、後を就いだ江川英龍の三男、英敏は佐賀藩からの応援を得て、着工から3年半後の1857年11月にようやく完成を見ました。

日本の鉄鋼技術の発展史の象徴として2013年9月、韮山反射炉は『明治日本の産業革命遺産』の構成資産として世界文化遺産への登録を目指すこととなりました。

世界遺産登録を支援する市民団体「韮山反射炉応援団」が、反射炉の知名度向上を目指し、「韮山反射炉検定」を2月1日に伊豆の国市の市韮山文化センターで行うことを決定しました。

検定は伊豆の国市が発行している「韮山反射炉を世界遺産に」の掲載内容を中心に40問が四択形式で出題、正解率に応じて1~3級に認定、認定証や記念品を贈呈するとのことです。

 

■おわりに

検定は2014年1月24日まで受験者を募集するとのことですので、興味のある方は受験してみてはいかがでしょうか?

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