1400年前の地球儀? 斑鳩寺に伝わる秘宝『地中石』
日本の歴史上の偉人は? という質問に、思い浮かべる名前は人それぞれ違うと思いますが、候補を何人か挙げる中に、聖徳太子の名前が入らないという人はなかなかいないのでは、ないでしょうか?
聖徳太子が生きたのは、今から1400年も前の昔ですが、彼が建立した寺に、その時代には決して存在しない筈の謎の秘宝が伝えられています。
果たして、その謎の秘宝『地中石』とは、一体どのようなものなのでしょうか?
●ムー大陸も描かれた古代の地球儀?
斑鳩寺は今の兵庫県揖保郡太子町にある寺院です。同じく聖徳太子が建立したとされる有名な法隆寺も、その異名を斑鳩寺といいますが、『地中石』は兵庫県の斑鳩寺に伝わるものです。
大きさはソフトボールほどの、石のような材質で出来た球体で、その表面には特徴的な模様のようなものが凹凸で表現されているのですが、その模様は地球儀に描かれる海と大陸に極めて良く似ているのです。
実際、南北アメリカ大陸やユーラシア大陸と思われる文様が刻まれ、更には南極大陸や、伝説のムー大陸と思われるものまであるというから驚きです。
クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したとされるのが15世紀末、更に南極大陸は19世紀に発見されたものです。
いずれも、聖徳太子が生きていた時代よりははるかに後世になって発見されたものです。
そもそも、聖徳太子の時代には、まだ世界が球状をしているという概念そのものが日本には存在していませんでした。
地球が球体であるという考え方自体は、紀元前の古代ローマの哲学までさかのぼることができますが、それが実証されたのはマゼランによる世界一周が達成された16世紀になってからのことです。
もしこれが聖徳太子に縁のあるものであり、それ故に斑鳩寺に奉納されていたのだとすれば、それは決してありえない、いえ、あってはならない物……オーパーツと断言できます。
果たしてこの謎の秘宝『地中石』の正体とは、一体何なのでしょうか……?
●製作者は江戸時代の人間?
『地中石』の材質を調べたところ、実際には石ではなく、石灰と海藻糊を固めた漆喰であることが判明しました。
この製法は戦国時代以降、盛んに利用されるようになったことが知られています。
この謎の地球儀の制作年代を特定するカギとなるのは、表面に刻まれた文字『墨瓦臘泥加』です。
これは『メガラニカ』と読み、古代ローマ時代のプトレマイオスが、南方に存在するとされる大陸の名称として用いたものです。
後に大航海時代を経て、その名は『南方にある未知の大陸(南極大陸)』の代名詞となりました。
『メガラニカ』という言葉が日本に持ち込まれたのは、中国で刊行された世界地図『坤輿万国全図』がイエズス会の宣教師によって国内に持ち込まれた年、1602年以降であることが知られています。
つまり、この地球儀は1602年以降に制作された可能性が極めて高いと言えるのです。
ある仮説によれば、この地球儀の製作者は江戸時代に刊行された百科事典である『和漢三才図会』を編纂した医師、寺島良安とされています。
『和漢三才図会』に掲載されている世界地図が、この地球儀に刻まれた大陸の形状に酷似しており、その根拠となっています。
いずれにせよ、『地中石』が江戸期以降に制作されたという事だけは間違いないと考えられており、どうやら聖徳太子由来の品というわけではない、というのが実情のようです。
ただし、それでもこの『地中石』には大きな謎が残されているのも事実です。
それは、ムー大陸と思しき、謎の大陸の存在です。ムー大陸は20世紀になってから、アメリカの作家ジェームス・チャーチワードが著作『失われたムー大陸』で提唱した架空の大陸です。
江戸時代に作られた『地中石』に、一体どうしてムー大陸が描かれているのでしょうか……?
■おわりに
謎が解けたようで解けていない、不思議な地球儀『地中石』……あなたはどう思われますか?
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